イギリスのEU離脱に際して、ポンドがEURで無くて手間が省けたでしょう。しかし、なぜポンドはEURに通貨統合していなかったのかという疑問をもつ人が多いようです。
欧州通貨統合
要約すると、イギリスは通貨統合したかった。
ところが、民間のファンド(ジョージ・ソロス)が通貨統合の矛盾をついた結果、通貨統合を断念したのが実情だったということです。
ポンド危機
EMS:
EUの通貨統合は、外務省のEUにおける通貨統合にあるように10年がかりの壮大なプロジェクト。
イギリスは通貨統合に向けてEMSに参加し、原則として為替相場の変動幅を年±2.25%以内に抑える必要があったのです。
1992年当時、イギリス経済は後退局面で失業率が上がっていました。私もその時ちょうど滞在していたのですが、無償のボランティアで施設で働いていた若いイギリス人が正式に雇われたと友人たちから拍手されていました。好き好んでボランティアをしていたのではなく仕事がなかったからで、そんな景気が悪い状況でした。
そのような経済状況でもポンドが上昇していて、てそれは通貨統合の過程で経済が良好のドイツのマルク高に引きずられていたのです。
その矛盾に気が付いたジョージ・ソロスは実体価格より過大評価されているポンドは安くならざる得ないと読み大量の売りを仕掛けた。
Black Wednesday (White Wednesday):
イングランド銀行は対抗手段として公定歩合を10%から12%、更に15%まで引き上げても下落が止まらず結果、1992年 9月17日、イギリスポンドは正式にEMSを脱退することとなった。ブラックウェンズデーといわれています。
このジョージソロスにとってはホワイトウェンズデーとなったポンド売りで10億~20億ドルの利益を得たと言われています。
EURの問題点
結果的にイギリス人はEURに参加せずに良かったと言っています。それはEURの問題点でもあるのですがどこかの1国の経済状況に他の加盟国が大きく影響されてしまうのです。
たとえばリーマンショック後のギリシャ危機です。EU全体の3%程度の経済規模でしかないのにEURが売られてしまうという結果にと様々な問題が露呈しました。
References:
ポンド危機
欧州通貨制度
ヨーロッパの火種に?[ギリシャ危機]の混乱を振り返る